写真と言霊【写真とエッセイ】 HOMETopSeries-001 | | | | | | | | | | 壱拾 |

と真っ直ぐの少女の視線に気付く。

下がりのチンチン電車。のんびり走っていて、街中の喧噪とは隔てられた別の世界になっている。

ふと真っ直ぐの少女の視線に気付く。

その視線にドギマギ戸惑う自分がいる。自分に向けられた視線ではないが、その真っ直ぐさに、自らの疚しさが疼くのだ。といって、ロリコン的な疚しさではない。少女の持つ、あいまいを赦さない子どもと、大人の雰囲気のアンバランスな同居に心地よさと居心地の悪さが出会ってしまう。
大人の駄目な部分に圧迫感を感じているのだ。

人は年を経ていくにつれて、気がつかないうちに心の持つ力は弱っているのではないだろうか。

経験を積み、世に長けると、純粋さを失い若さを恐れるようになる。自分の汚さを見るのが恐くなるのだ。その弱さを覆い隠すために虚勢を張ると老醜となる。

子どもの持つ真っ直ぐさを失わず、大人としての経験に裏打ちされた思慮が両立するならば人生は楽しくなる。
そのような生き方をする人は確かにいて、羨ましく思いながらも生き方を変えることはできずにいる自分がいる。自嘲的な笑いで、真っ直ぐの視線に背を向けてしまうのだ。

神を信じていることは、神性を持つ自分を信じることとつながる。生き方を変えることとは、今とは違う自分を思い描くこと。そこから全てが始まる。

あこがれを眺めて終わる人生は、結局のところ空しい。自分を生きていないからだ。

子どもの真っ直ぐな視線から目を逸らさないパワーが大人達の心に満ちるとき、何かが起こる。そして世界は変わっていくだろう。

人は心を写す鏡に成熟を求めがちだが、未熟さが持つ力を写し取りたいこともある。二面を兼ね備えることでいつまでも面白い人であり続ける。人生は楽しくなってゆく。

この写真は1991年頃に松山市で撮ったものです。この女の子にお心当たりがある方はお知らせ下さると幸いです。

写真と言霊【写真とエッセイ】 HOMETopSeries-001 | | | | | | | | | | 壱拾 |